【通勤途中の自動車交通事故】労災保険と、加害者による損害賠償(自賠責保険・任意保険)との調整について解説

はじめに

従業員が、通勤途中に自動車に接触するなどの自動車交通事故によって負傷し、被害者となった場合には、会社が加入している労災保険による給付と、交通事故の加害者による損害賠償の両方の対象になることがあります。

このとき、被害者である従業員は、会社が加入している労災保険に対して保険給付を請求する権利と、加害者に対して損害賠償を請求する権利(実際には、加害者の加入している自賠責保険・任意保険に対して支払いを求める)の2つの請求権を有することになります。

基本的には、両者のうち、いずれを先行させるべきかについて決まりはなく、被害者はいずれか一方または両方を選択して請求することができますが、同一の事由による損害に対して、二重の填補がなされないよう、両者間で調整が行われることとなります。

本稿では、通勤途中の自動車交通事故が生じた場合において、労災保険と、加害者による損害賠償(自賠責保険・任意保険)との間で、どのようにして調整が行われることになるのかを解説します。

労災保険と通勤中の自動車交通事故

「労災保険」(正式名称は「労働者災害補償保険」)とは、業務中に発生した「業務災害」に対して会社が行うべき災害補償を担保するため、または、通勤途中に発生した「通勤災害」に対する給付を行うための保険制度をいいます。

労災保険では、通勤途中に発生した事故による負傷など、通勤災害についても、保険給付の対象としています。

特に、業務災害または通勤災害が、第三者の故意・過失によって生じることを、「第三者行為災害」といい、自動車交通事故による通勤災害もこれに該当します。

第三者行為災害については、同一の事由による損害に対して、二重の填補がなされないよう、加害者による損害賠償との間で調整が行われることとなります。

労災保険(通勤災害)については、以下の記事をご覧ください。

労災保険における「通勤災害」とは?対象となる通勤の範囲、保険給付の内容などを解説

自動車交通事故の加害者による損害賠償(自賠責保険・任意保険)

「自賠責保険」による損害賠償

自動車交通事故によって負傷し、被害者となった場合には、原則として、被害者は加害者に対して、不法行為に基づく損害賠償請求権を有することになります(民法第709条)。

このとき、加害者が負う損害賠償義務を担保するための保険として、自賠責保険があります。

自賠責保険」(正式名称は「自動車損害賠償責任保険」)とは、自動車の運行で他人を死傷させた場合(対人事故)に生じる損害について支払われる保険であり、原動機付自転車を含むすべての自動車は、自動車損害賠償保障法に基づき、自賠責保険に加入していなければ運転することができません(自動車損害賠償保障法第5条)。

自賠責保険では、被害者1名につき、次のとおり支払い限度額が定められています。

自賠責保険の支払い限度額

  • 治療関係費、休業損害、慰謝料など…合計で120万円まで
  • 後遺障害(逸失利益、慰謝料)…(常時介護を要する場合)4,000万円まで(左記以外の障害)等級に応じて3,000万円(第1級)から75万円(第14級)まで
  • 死亡(葬儀費、逸失利益、慰謝料)…3,000万円まで

自賠責保険の治療費は、原則として、自由診療とされているため、病院によって異なりますが、労災保険(診療単価は1点12円)と比べると2倍程度の高額になることもあります。

また、休業損害は、事故前3ヵ月の給与収入の合計額を90で除した額(最低保障額は1日あたり5,700円)を1日あたりの損害額として、原則としてその満額が支払われます。

「任意保険」による損害賠償

任意保険とは

通常は、自賠責保険の支払い限度額を超える損害が生じた場合に備え、自賠責保険に上乗せする形で、「任意保険」に加入することが一般的です。

任意保険では、対人事故によって生じた損害賠償について、無制限で(上限なく)保険金を支払う契約をすることもでき、また、自賠責保険では対象とならない対物事故などについても保険対象とすることができます。

また、自動車交通事故が生じた場合、加害者側が加入している任意保険の保険会社は、保険金を支払うだけでなく、加害者(被保険者)に代わって、被害者との間で示談交渉を行うサービスを提供することが一般的です(自賠責保険には、このようなサービスはありません)。

任意保険と過失相殺

加害者に損害賠償責任が生じた場合、まずは自賠責保険から保険給付が行われますが、自賠責保険は、基本的に、被害者の過失割合に応じて減額されることはありません

一方、損害額が120万円を超える対人事故や、対物事故など、自賠責保険では補償されない損害が生じた場合には、加害者の加入する任意保険からも支払いを受けることになりますが、任意保険の場合は、被害者側に過失(落ち度)があれば、過失相殺が行われて支払額が減額されることがあります。

「過失相殺」とは、被害者の過失割合に応じて、過失分を損害賠償額から減額することをいいます(民法第722条第2項)。

過失相殺の例(傷害の場合)

  • 損害額の総額…200万円
  • 過失割合…被害者10%・加害者90%
  • 加害者が支払うべき損害賠償額…180万円(200万円×90%)
  • 自賠責保険から支払われる額…120万円(最大額)
  • 任意保険から支払われる額…60万円(180万円-120万円)

【図】過失相殺の適用

保険の種類過失相殺の適用
自賠責保険なし
(ただし、被害者の過失割合が70%以上の場合は、一定割合の減額あり)
任意保険あり

自賠責保険では、被害者保護に重点を置いているため、過失相殺の理論がそのまま適用されるのではなく、被害者に重大な過失があった場合のみ減額されることとされています。

これを「重過失減額」といい、被害者に70%以上の過失がない限りは、自賠責保険が減額されることはありません。

労災保険と自賠責保険(任意保険)との関係性

労災保険と自賠責保険(任意保険)との関係性

労災保険と自賠責保険(任意保険)のうち、いずれを先行させるべきかについては法律上の決まりはなく、被害者はいずれか一方または両方を選択して請求することができます。

ただし、両方から同時に給付を受けることはできず、まずはいずれか一方を選択し、先行して保険給付を受けた上で、不足分がある場合に限り、もう一方からも保険給付を受けることが一般的です。

労災保険では、自動車交通事故など第三者行為災害が生じた場合において、労災保険と自賠責保険(任意保険)のいずれを先行させるかによって、取り扱いが異なります。

労災保険の給付が先行した場合

労災保険を管掌する政府は、保険給付の原因である交通事故が第三者(加害者)の行為によって生じた場合において、保険給付をしたときは、その給付の価額を限度として、保険給付を受けた被害者が第三者(加害者)に対して有する損害賠償請求権を代位取得するとされています(労災保険法第12条の4第1項)。

また、政府が代位取得した損害賠償請求権を行使することを「求償」といいます。

自賠責保険(任意保険)が先行した場合

労災保険による保険給付を受けることができる者が、第三者(加害者)から損害賠償を受けたときは、政府は、その価額の限度で保険給付をしないことができるとされています(労災保険法第12条の4第2項)。

また、政府が当該規定に基づき保険給付を行わないことを「控除」といいます。

求償または控除の対象となる損害賠償額の範囲は、労災保険による保険給付と同一の事由のものに限られます。

したがって、慰謝料、見舞金、香典、物的損害など、労災保険の保険給付の対象とならないものについては、求償または控除の対象にはなりません。

労災保険と自賠責保険との給付内容の比較

労災保険と自賠責保険の給付内容を比較すると、下表のとおりです。

【図】労災保険と自賠責保険との給付内容の比較(傷害の場合)

給付の内容労災保険自賠責保険
治療費全額支給(保険診療)全額支給(自由診療)
※被害者の過失割合が70%以上の場合は80%支給
休業損害60%支給全額支給
※被害者の過失割合が70%以上の場合は80%支給
慰謝料なしあり
諸雑費なしあり
支払い限度額なしあり(総額120万円)
過失相殺なしなし
※任意保険を適用する場合には、過失相殺あり

労災保険と自賠責保険(任意保険)のどちらを先に請求すべきか

労災保険と自賠責保険(任意保険)のどちらを先に請求すべきかについては、自動車交通事故の態様によって異なりますので、一概にはいえません。

できる限り弁護士など専門家に相談の上で、慎重に判断する必要がありますが、基本的な方向性は以下のとおりです。

損害額の総額が120万円以下の場合

損害額の総額が120万円以下の場合には、労災保険と自賠責保険のいずれを先行しても、結果的に、治療費、休業給付(休業損害)、慰謝料などの給付が全額支払われることとなります。

したがって、この場合には、事務手続が簡便な方(一般的には、自賠責保険・任意保険の方が手続は簡便といえます)を選択すれば問題ないといえます。

損害額の総額が120万円を超える場合

一方、治療が長引くなどして、治療費が高額になることが見込まれる場合など、損害額の総額が120万円を超える可能性があり、かつ、被害者にも過失がある場合(過失相殺がなされる場合)には、一般的には、労災保険を先行して治療費を抑え、その分を休業損害や慰謝料の給付に充てる方がよいといえます。

示談の取り扱い

加害者から実際に損害賠償がなされていないものの、被害者が損害賠償請求権の全部または一部を放棄する旨の示談が成立した場合には、原則として、放棄した部分については損害賠償を受けたものとみなされ、労災保険による保険給付を受けることができなくなる場合がありますので、示談をする際には留意する必要があります(昭和38年6月17日基発687号)。