会社から従業員に対する損害賠償請求は認められるか?裁判例を踏まえて解説
はじめに
従業員が業務を遂行する上で、不注意によるミスにより、会社に金銭的損害が生じることがあります。
例えば、従業員が、会社から貸与されているパソコンなど、会社の備品を不注意で壊してしまった場合や、社用車を運転中に、交通事故により社用車を傷付けてしまった場合などがあります。
この場合、会社は従業員に対し、その損害額の賠償を求めることができるのかどうかが問題になることがあります。
本稿では、従業員のミスによって会社に金銭的損害が生じた場合、会社は従業員に対して、どこまでの範囲で損害賠償を請求し得るのかについて、裁判例を踏まえて解説します。
従業員に対する損害賠償請求の可否
労働基準法の定め
労働基準法では、会社が、労働契約において、従業員に対する損害賠償請求を前提として、その賠償額を予定することを禁止しています(労働基準法第16条)。
「賠償額を予定する」とは、例えば、従業員が工場での作業中に機械を誤って壊してしまった場合に備えて(実際に損害が発生していないにも関わらず)、あらかじめ「機械を壊した場合は100万円支払う」など、一定額を賠償することを契約することをいいます。
ただし、この規制は、会社に現実に損害が生じた場合において、従業員に対して、その実損額に応じて損害賠償を請求することを禁止するものではないと解されます(昭和22年9月13日発基17号)。
したがって、損害賠償の金額をあらかじめ約定せず、実際に損害が生じた場合に、その実際の損害額に応じて損害賠償を請求することは、労働基準法に違反しないと解されます。
従業員に対する損害賠償請求の根拠
債務不履行
従業員は、会社に対して、労働契約に基づく労務提供義務を負っているものと解されます。
この義務を果たさないことにより、会社に損害を与えた場合には、従業員は「債務不履行」に基づく損害賠償責任を負うと解されます(民法第415条、同第416条)。
不法行為
従業員の行為が、不法行為に該当するものであれば、「不法行為」に基づく損害賠償責任を負うと解されます(民法第709条)。
使用者責任に基づく求償権の行使
従業員の不法行為によって、会社の取引先など第三者に損害が生じた場合には、その従業員を雇用している会社も、当該第三者に対し、従業員と連帯して責任を負う場合があり、この責任を「使用者責任」といいます(民法第715条第1項)。
この場合、会社が第三者に対して損害賠償を行った場合には、会社はその損害賠償額に応じて、従業員に対して請求を求める権利(求償権)を有します(民法第715条第3項)。
従業員が負担する損害賠償の程度
従業員が業務上ミスをして会社に損害が発生したとしても、その損害が会社の業務の一環として発生したことを踏まえ、その損害が従業員の故意や重大な過失によるものでない限り、会社から従業員に対する損害賠償請求は当然に認められるものではないと解されます。
裁判例でも、従業員に責任があるとはいえ、次の考え方を踏まえ、発生した損害については、労使双方に公平な分担を求め、従業員の責任が制限されるべきと考えられています。
損害賠償請求の基本的な考え方
- 会社は、従業員の労働によって利益を得ているにも関わらず、業務を遂行する中で発生した損害を従業員に負担させるというのは、公平を欠いていること(危険責任・報償責任の原則)
- 会社と従業員との間には、著しい経済力の差があること
- 会社は、経営から生じる定形的な危険について、保険制度を利用するなどして損失の分散を図ることができること
「危険責任・報償責任の原則」とは、事業によって生じるリスクは、それにより利益を得ている会社が負うべきであるという考え方をいいます。
裁判例では、従業員の行為により会社に損害が発生した場合、会社が従業員に対して損害賠償を請求することを認めていますが、同時に、諸般の事情を考慮し、信義則によって、請求の範囲を制限するとしています。
裁判例では、会社は、①その事業の性格、②規模、③施設の状況、④従業員の業務の内容、⑤労働条件、⑥勤務態度、⑦加害行為の態様、⑧加害行為の予防もしくは損失の分散についての会社の配慮の程度、⑨その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる程度において、被用者に対し損害の賠償を請求することができるものと解すべきである、としています(茨石事件/最高裁判所昭和51年7月8日判決)。
なお、以上の内容は従業員の過失を前提としたものであり、横領など、従業員が故意に違法な行為をした場合には、従業員の責任が制限されることはないといえます。
以下、従業員の行為の態様ごとに、裁判例をみていきます。
裁判例(自動車交通事故)
裁判例1[重過失なし]
従業員がタンクローリーの運転中に追突事故を起こした事案(会社の損害額は、約41万円と認定)で、裁判所は、①会社が経費節減のために対物・車両保険に加入していなかったこと、②従業員の日頃の勤務成績が普通評価以上であったこと、③賃金額が月額約4万5千円であったことなどを勘案し、従業員の責任範囲を損害額の4分の1(約10万円)に制限しました(茨石事件/最高裁判所昭和51年7月8日判決)。
裁判例2[重過失なし]
従業員が4トントラックの運転中に交通事故を起こした事案(会社の損害額は、219万円の主張に対して、約55万円と認定)で、裁判所は、①会社が車両保険に加入するなどの損害を分散する手立てをしていなかったこと、②同社で頻繁に交通事故があるということは、従業員自身の不注意だけではなく、労働条件や従業員に対する安全指導、車両整備等に原因があったものと推察されること(実際に、就業規則や36協定の不作成、休みが月1日程度しかないなどの状況であった)、③当該従業員に重大な過失があったとは認められないことなどから、従業員の責任範囲を損害額の5%に制限しました(K興業事件/大阪高等裁判所平成13年4月11日判決)。
交通事故の場合の損害賠償額の算定範囲
交通事故における損害賠償額について、会社の車に付保されている損害保険から補填される額については、原則として賠償範囲に含まれず、従業員は賠償する必要がないと解されます。
この場合における損害賠償の範囲としては、保険の対象外となった分の修理費や、保険の使用によって保険料が増額となる分、営業車両を使用できない期間にかかる営業損害から諸経費を控除した額などが考えられます。
裁判例(業務遂行中のミス)
裁判例1[重過失あり]
深夜の勤務中に居眠りをして会社の工作機械に損傷を与えた事案(会社の損害額は、約1,110万円の主張に対して、約333万円と認定)で、勤務中に居眠りをしたことは十分に労務を提供していたとはいえず、その過失は重大であり、債務不履行による責任は免れないとしつつも、①会社と従業員の経済力、賠償の負担能力の格差が大きいこと、②会社が機械保険に加入するなどの損害軽減措置を講じていなかったこと、③深夜勤務中の事故であり、従業員に同情すべき点があることなどに鑑み、従業員の責任範囲を損害額の4分の1(約83万円)に制限しました(大隈鉄工所事件/名古屋地方裁判所昭和62年7月27日判決)。
裁判例2[重過失なし]
消費者金融を営む会社において、内規違反の貸付によって損害が生じた事案(会社の損害額は、約2,621万円の主張に対して、約1,722万円と認定)につき、①厳しい営業目標管理の存在があったこと、②会社が全国有数の事業者であり資金力が強大であることなどを考慮して、従業員の責任範囲を損害額の10分の1(約172万円)に制限しました(株式会社T(債務引受請求等)事件/東京地方裁判所平成17年7月12日判決)。
裁判例3[重過失あり]
中古車販売を営む会社の店長が取引先にだまされ、代金入金に先立って車両を納車し、代金回収不能によって損害が生じた事案(会社の損害額は、約5,156万円と認定)につき、店長の重過失(会社は、代金入金後の納車を再三注意喚起していた)を認めつつ、諸般の事情を考慮して、従業員の責任範囲を損害額の2分の1(約2,578万円)に制限しました(株式会社G事件(甲請求)/東京地方裁判所平成15年12月12日判決)。
裁判例4[重過失あり]
売上代金の請求書作成を怠った(未提出件数は153件と多く、重過失があるといえる)ことにより損害が生じた事案(会社の損害額は、約813万円と認定)につき、①原因には過重な労働環境にも一因があること、②本件の責任は上司にも監督責任があること、③以前にも本件と同様の事件が起きているにも関わらず、適切な再発防止策が講じられているとは言い難いこと(再発防止措置が不十分であること)などを考慮して、従業員の責任範囲を損害額の約4分の1(約200万円)に制限しました(N興業事件/東京地方裁判所平成15年10月29日判決)。
裁判例(退職に伴う損害)
期間の定めのある契約を締結している従業員が、やむを得ない事由がないにも関わらず、その期間の途中で退職する場合(やむを得ない事由があっても、当該事由について従業員に過失がある場合)、および、期間の定めのない契約を締結している従業員が、2週間前(民法第627条)の申し入れをすることなく退職した場合には、契約違反による損害賠償責任が発生する余地があります。
しかし、裁判例上、従業員の責任を認めたものは、ほとんどありません。
特定の業務を担当させるために期間の定めなく採用した従業員が、その約1週間後から欠勤を続けて退職したため、その業務に関する契約を取引先から打ち切られたという事案(会社の損害額は、約200万円)において、従業員に対する損害賠償請求を認めたものがみられるに留まります(ケイズインターナショナル事件/東京地方裁判所平成4年9月30日判決)。
ただし、その賠償額は、退職後に合意された金額の約35%(約70万円)に制限されています。